1952-05-22 第13回国会 衆議院 法務委員会 第56号
ところが先刻申し上げましたように、朝鮮人代表者との交渉がひまどつたので、数分間遅れたのです。看守が被疑者を連れて入るよりも、裁判官の入るのが二、三分遅れた。その間に被疑者並びに傍聴人たちが、先刻申し上げました手錠をはずせ、釈放しろというようなことを要求し、それに傍聴人が拍手をする、声援をするということで騒騒しかつた。
ところが先刻申し上げましたように、朝鮮人代表者との交渉がひまどつたので、数分間遅れたのです。看守が被疑者を連れて入るよりも、裁判官の入るのが二、三分遅れた。その間に被疑者並びに傍聴人たちが、先刻申し上げました手錠をはずせ、釈放しろというようなことを要求し、それに傍聴人が拍手をする、声援をするということで騒騒しかつた。
更に、昨年十二月十一、十二日に朝鮮人代表者十一乃至十七名が来庁、十五日に五十名が来庁、生活扶助費増額、外国人退去政令を市の責任において撤回させると共に、少くとも朝鮮人には適用しないこと、万一適用した場合には、朝鮮人の生活を市が責任を以て保障すること、家屋の補修の実施等を要求して騒いだのであります。
事情はその通りでありまして、朝鮮人の学校の問題につきましては、森戸文部大臣のときに、昨年の四月一度問題がありまして、そうして文部大臣と朝鮮人代表者との間で覚書が取交わされて一応解決しておつたわけであります。
二月二十六日、大阪府は右に関する朝鮮人学校長会議を開催し、さらに三月十二日、同樣の会議を開いたのでありますけれども、朝鮮人代表者の集合の数が少く、しかも、その來会いたしましたる朝鮮人は、いずれも教育の自主性を強調して反対したのであります。三月十六日、大阪府は各地方事務所長、市町村長、朝鮮人学校長、朝鮮人連盟委員長その他に対して左の通告を発し、これが二十三日に送逹されたのであります。
それから大阪の方は、同じ要求によりまして、二十三日に零時三十分頃から知事室において、知事が不在でありましたために、大塚副知事が濱田学務課長と、朝鮮人代表者三十数名と会見することになりまして、激しい論争が続けられたのでありますが、これは外部におけるいろいろなアジ演説、或いはいろいろ行動と混乱に陥つたのでありまして、結局数時間議論を続けましたが、解決に至らないで交渉は物別れと相成りましたので、四時半頃副知事